私が好きな歴史上の人物ベスト3をランキング形式にて紹介!

みなさんが好きな歴史上の人物と言えば、誰が思い浮かびますか?
それぞれ思い思いの好きな歴史上の人物がいると思います。
歴女という言葉も最近ではよく聞かれるので、歴史に興味を持っている方も多いと思います。
そんな日本を支えてきた歴史上の人物を、ランキング形式で紹介していきます!



私が好きな歴史上の人物ランキング・第3位!坂本龍馬!
もうこの方は言わずと知れた有名な人物ですよね!
幕末を語るには、この人なくしては語れない!というほど、偉大な功績を残している人物です。
では、簡単ではありますが、坂本龍馬について説明します。
天保6年に、土佐郡(現在の高知県)の、質屋・酒造業・呉服商を営む坂本家の二男として生まれます。
龍馬には、兄が1人と姉が3人いて、3人の姉の1人・乙女は、龍馬に武芸や学問を教えたことでも有名です。
何度も脱藩を繰り返し、その後、千葉道場の勝海舟の元を訪れ、勝海舟の話に感銘を受け、門下生となります。
龍馬は、薩長を和解させるために、貿易などの結びつきが重要と考え、長崎に亀山社中を設立します。
この亀山社中は、後にかの有名な海援隊と改称されます。
慶応2年には、薩摩の代表として西郷隆盛、長州側は桂小五郎が代表として会談するも、西郷隆盛が頭を下げられないことが理由で、なかなか同盟を結べずにいました。
そんな西郷を龍馬は何とか説得し、後に薩長同盟と呼ばれる同盟を結ぶこととなります。
慶応3年に、龍馬は船中八策と呼ばれる王政復古を目標とした策を提案し、薩摩と土佐の間に薩土盟約を結ぶことにも成功します。
これを元に、龍馬は大政奉還を成功させます。
同年の11月に、近江屋で暗殺され、33歳という若さで、その波乱に満ちた生涯を終えるのです。
地元の土佐のことだけを考えているのではなく、日本の未来を見据えて、外交を積極的に行う等、その当時からすると考えられなかったようなことを実現させ、長く続いた幕府政治を終わらせ、まさに今の日本の礎を作ったと言っても過言ではないです。
ということで、坂本龍馬を3位にさせてもらいました!

 

私が好きな歴史上の人物ランキング・第2位!土方歳三!
3位の坂本龍馬とは真逆の立場である土方歳三ですが、その枠を超えて好きな人物なので、2位に挙げさせてもらいました。
土方歳三は天保6年、武蔵国(現在の東京都)の農家を営む土方家の10人兄弟の末っ子として生を受けます。
姉の、のぶの嫁ぎ先である、佐藤彦五郎は近藤勇と親交があり、佐藤彦五郎の家によく出入りしていた土方歳三は、近藤勇と出会うのです。
文久3年に、土方歳三は、徳川家茂の警護の為に、浪士組に応募したあと、京都へ赴きます。
同年に起こった八月十八日の変で壬生浪士組が活躍したことを受け、新選組が発足し、近藤勇が局長、土方歳三は副長となり、京都の治安維持に努めます。
1年後、池田屋事件が起こり、そこで活躍した新選組は世間にその名を轟かせます。
土方歳三は、新選組の規律を守らない隊士は、幹部であろうと関係なく切腹させていたために、鬼の副長と恐れられていました。
そんな中、慶応3年、徳川慶喜が大政奉還をし、幕府は崩壊します。
慶応4年、薩長・土佐藩による新政府軍と、新選組をはじめとする旧幕府軍との戦い・戊辰戦争が勃発します。
ですが、新政府軍の銃撃に敗れ、同年、近藤勇は処刑されてしまします。
その後、蝦夷地(現在の北海道)に渡って五稜郭を占拠し、抜群の戦術を見せ、巻き返しますが、新政府軍の総攻撃にあってしまいます。
その時に、仲間の軍が孤立してしまった為、わずかな軍を率いて、最後まで戦い抜きますが、銃弾が腹部に当たり、35歳という若さで生涯を終えます。
どんな時も冷静沈着で、鬼の副長と言われながらも、新選組という組織を守るために、最後の最後まで戦い抜き、仲間の為にその命さえもささげるところに、とても惹かれました!

 

私が好きな歴史上の人物ランキング・第1位!織田信長!
歴史上の人物の人気ランキングでも常に上位を占めているほど、絶大な人気を誇っている人物ですよね。
一般的には、気性の激しい人物としてとらえられがちですが、実はそうではないのです!
織田信長は、天文3年、尾張国(現在の愛知県)の戦国大名・織田信秀の嫡男として生を受けます。
幼少の頃から奇妙な行動が多かったため、尾張の大うつけと呼ばれていました。
信長が18歳の時に、父の信秀が亡くなった為、家督を継ぎます。
尾張国の実権を握っていた、織田信友は、信長の弟・織田信勝が家督相続することを支持し、対立しますが、信長の叔父の織田信光と協力し、尾張国の守護所を手に入れます。
こうして信長は、織田家の頭領となります。
その後も、信勝との争いは絶えませんでしたが、仲間の協力を得て、永禄2年には尾張国の国主となります。
尾張国統一後の永禄3年に、桶狭間の戦いが起こり、今川義元が尾張国に侵攻してきますが、信長は4,000人の軍勢を率いて戦い、今川義元を討ち取ります。
信長は、戦の面以外でもその手腕を発揮しています。
不要な関所を廃止したり、楽市楽座と呼ばれる経済政策を行い、経済の活性化を図ったり、南蛮への興味も強く、積極的に貿易を行うなどの交流がありました。
その後も様々な戦で勝利をおさめ、中でも当時圧倒的な力を誇っていた武田軍を破った、長篠の戦いはとても有名です。
天下統一のために、戦を積極的に行い、安土城を築くなどその功績はあげればきりがありません。
そんな天下統一が見えてきた矢先、中国地方遠征の出兵の準備のために、本能寺にいた信長の元に、秀吉への援軍を命じていたはずの明智光秀が攻めて来て、本能寺を襲撃したのです。
100人ほどの家来しかおらず、自らも槍を手に戦ったものの、圧倒的に多かった明智軍には敵わず、自分の部屋に火をつけて、自ら命を絶ち、49歳でその生涯を終えます。
戦を好み、残虐な行為を行うことも多かったため、怖い人物というイメージがありますが、障害を持ちホームレスのような状態になっていた人物に対し、今でいう生活保護のようなことを行い助けたり、身分にこだわらず、庶民とも付き合い持っていたりと、非常に慈悲深い面を持っていたようです。
天下統一こそ果たせませんでしたが、その夢を追い、時に厳しく時に優しい信長だからこそ、家臣も信長につかえたのではないかなと思います。
実力だけではない信長の魅力にとても魅せられたので、1位とさせてもらいました!

 

私が好きな歴史上の人物ベスト3を紹介!のまとめ
3人とも時代や背景は違えど、日本の未来を憂い、常に真っ直ぐに進んでいく姿が共通しているなと感じました。
何よりも、揺るがない信念というものを感じ取ることが出来たのが、この3人を選ばせてもらった理由の1つです。
戦国時代や幕末という、決して平和とは言えない時代を生き抜いた彼らに、心から尊敬の念を抱きます。
もしよければこれを機に、歴史上の人物に興味を持っていただければ嬉しいです。

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