私は酷く傷つけた。
ずっと謝りたいと思って生きてきた。
でもそれが出来ない。
実家に手紙を送ってもきっと捨てられてしまう。
娘たちにも謝りたい。
でももう昔のことやし、そう思てるのは私だけかもしれんし、今更て思うやろし。
忘れてしもてるかもしれんし、思い出させることはしたくない。
自分が許せなくて、ずっと後悔ばかりで情けなくて。
1日も忘れたことないし、毎日寝る前に「みんなは今日はどんな1日やった?おやすみ」って呟いてる。
でも2人は立派に成長してた。
幼稚園が大人になってた。
辛いこと大変なこと、いっぱいあったやろ。
彼女には物凄く感謝してる。
私はもっと大事にせなアカンかったんや。
全て私が悪かった、ごめんなさい。
調停の後入院してしまい、2ヶ月して退院してから面接権の裁判のことで弁護士が連絡してきた。
事務所に行くと1枚の紙を見せられた。
そこには新しい名前、住所、そして娘たちが養女と書いてあった。
弁護士が「奥様は再婚しておられる。奥様たちは愛知県の一色と言うところに住んでおられる。娘さんたちは養女となってます。小学校は…」などと説明してくれた。
訴えられた側の住んでる県庁所在地の裁判所で裁判をするので、弁護士と助手の女性と私と3人で名古屋へ行くことになると言われた。
でも新しい父親がいるのなら、私が会うのは困らせてしまうと思って裁判は取りやめた。
とにかく新しい家庭があることで、少し安心した。
あの時弁護士は1分程席をはずした。
写メを撮るのは出来たけど、もう会わないと決めたんやからそれはルール違反やからしたらアカンと思った。
母が買ってくれてた2人のランドセルは売った。
発送で郵便局へ持って行って手続きをする時も、娘たち名義の郵貯の口座を解約しに行った時も、小学校で使うはずだった道具などを学校へ返しに行った時も、私はずっと泣いてた。
ただ細かいことはあんまり覚えてなくて、主治医は「とても辛い出来事は自分を守るために忘れてしまうことがある」と言ってた。
初めて気絶もした。
人は物凄く寂しいと気絶することがあるらしい。
だからマンションで1人でいるのは危険なので、実家に戻った。
それからは精神的にきつい日が続いて、おかしな症状がいっぱいあった。
歯を磨いてると鏡の中の自分が突然動き出し「オマエが悪い!」と説教されたこともあったし、外に出ると知らない人全員が「あの人最低なやつらしいで!死んだらいいのに!」とみんなで笑いながら話してるように聞こえてた。
ある日、気がついたらICU のベッドで、救急隊に蘇生させられたと説明された。
どんなに後悔してもどうもしようがなくて、主治医からは時間が経って少しずつ忘れていけるように、距離を置けるようにと繰り返し説明された。
あれから16年。
6才が22才になってた。
写真を見ただけやけど、長女はやっぱり軽度の知的がある雰囲気。
次女は障害は大丈夫やろか。
2人は同じ学校に行けたのかとか、いじめられへんかったかとか、気になることはいっぱいあるけど、今は働いてるみたいやしスゴいなと思う。
嵐やSixTONESが好きらしい。
長女はお笑いも好きみたいで、ぺこぱがお気に入りなんかな。
そして「おかあさんといっしょ」などのEテレの番組は今でも大好きみたい。
小さい頃から朝から寝るまでずっと観てたからなぁ。
今私がA型で働いていて、ウチにはADHDの娘がいて、私の周りには発達障害の人がたくさんいる。
なんか不思議。
ほんの少しだけ言いたいことは文字で伝えられたけど、でもこういうチャンスが全くなかったよりは良かったなと思う。
実家の母も、みんなが楽しそうで良かったなと話してた。
彼女は甘えるのが下手な人やったから、きっとずっと気を張って娘たちをサポートして生きて来たのやと思う。
私1人では到底出来ないこと。
どの面下げて言うてんねん!と言われそうやけど、ありがとう、感謝してます。
足の具合が良くないみたいやけど、もし私に出来ることがあれば、遠慮なく何でも言って下さい。
しかし、去年くらいに毎朝すれ違ってた自転車に乗った女性は娘ではなかったのか。
セブンイレブンから運転して出て来た茶髪のショートボブは彼女ではなかったのか。
また幻覚が見えてたのかもしれない。
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