1992年から放送されていた『電波少年』で一躍有名になったなすびですが、最近めっきりテレビ番組で見かけることはなくなりましたよね。
ですがそのなすびが、実はエベレスト登山に挑戦していたようなのです!
「しばらく見てない間にエベレスト登山に挑戦していたなんて!」と思う方も多いと思います。
ということで、なすびの紹介とともに、エベレスト登山に挑戦した経緯やその様子、そして登頂できたのかについてまとめてみました!
なすびってどんな人?
1992年から放送されていた『進め!電波少年』では、アポなし、突撃、ヒッチハイクといった無茶なことに挑戦する企画を放送していたのですが、1998年1月から『進ぬ!電波少年』に名前を変え、これまでとは違い、若手タレントの挑戦企画を放送するようになりました。
番組開始第1弾の企画『電波少年的懸賞生活』に挑戦することになったのが、なすびという芸人だったのです。
その企画のコンセプトが「人は懸賞だけで生きていけるのか」というもので、都内の某アパートになすびが連れて行かれ全裸になり、懸賞雑誌とはがきのみを与えられ、100万円分当選するまで、懸賞だけで生活をするという前代未聞の企画でした。
この企画が大きな話題となり、なすびは一躍有名になったのです。
その懸賞生活を綴った書籍『懸賞日記』が出版され、ベストセラーとなるほど人気がありました。
この番組を当時観ていたのですが、いろいろな商品が懸賞で当たり、生活が潤っていく様子がとても面白かったことを憶えています。
では、現在は何をしているのか気になりますよね。
次で、なすびのその後について紹介していきます!
なすびの今はどんな感じ?
この番組終了後、懸賞生活のイメージが強すぎたせいか、以降はお笑い芸人としては売れなかったので、地元の福島県で冠番組を持ち、ローカルタレントとして、活動していました。
なので、もともと志望していた喜劇俳優として活動を開始し、2002年に『なす我儘』という劇団を立ち上げ、座長を務めています。
2005年『電車男』というドラマへ出演したことをきっかけに、テレビドラマ等で俳優としての出演することも増え、現在も俳優として活動を続けているようです。
あまりドラマに出ているイメージはありませんでしたが、いろいろ活動の場を広げているのですね!
なすびがエベレスト登山!?
活動も順調なのに、なんでエベレストに挑戦したの?と思いますよね。
その理由が、福島復興のためらしいのです。
なすびの出身地が福島県ということもあり、東北の震災で大きな被害が出た福島の復興を祈り、エベレスト登山を計画したようです。
そして、2013年にエベレストに初挑戦したのですが、山頂まで残り100mというところで悪天候のため断念せざるおえませんでした。
翌年2014年はエベレストの雪崩事故のため断念、2015年はネパール大地震の影響で中止となってしまったのです。
今年2016年、4度目の正直として挑んだエベレスト登山で、5/19ついにエベレスト登頂を果たしたのです。
登頂後は「エベレスト8848mの山頂です!青空!」とツイッターで報告し、登頂の喜びをかみしめたようです。
その後もツイッターで「東北に元気と勇気、夢と希望を!九州に元気と勇気、夢と希望を!日本に元気と勇気、夢と希望を!」とつぶやき、東北以外の被災者にもエールを送りました。
話題作りのためなら、きっとここまではできないと思うので、なすびの地元への愛、そして心から被災した方を応援する気持ちが伝わってきますね!
電波少年で有名になったなすびがエベレスト登頂!?についてのまとめ
最近見ないなと思っていたなすびですが、陰ながら努力し、エベレスト登頂という偉業を成し遂げていたのですね!
話題作りのために、いろいろする人も中にはいますが、調べているとそうではないということがひしひしと伝わってきました。
最近悪いニュースばかりが目立っているので、なすびのエベレスト登山成功というニュースが、日本を元気づけてくれるといいなと思います!
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