この夏のお盆休みに歴史好きな娘のために家族でとあるお城へ行きました。
お盆の渋滞もなく、また自動運転のおかげもあり、快適に着きました。
コインパーキングにとめて、そこから歩いて15分ほどで入場券を買うチケット売り場に着きましたが、やはりお城なので山道を登りながら歩きました。
木がたくさん生い茂ってるので木陰が多く、そして気温は32度くらいで風が吹くと気持ちいいくらいの暑さでした。
私は狭心症なので当然息が切れて、チケット売り場で目眩がしてベンチで5分ほど座って休みました。
山道では、娘ははやく行きたいから1人でどんどん先へ進んでましたが、チケット売り場に着いた途端吐きそうと言ってトイレへ行き吐いたようです。
冷たい飲み物を買ってもらい、それを飲んでました。
私は息切れと目眩は治まってたけど、息切れではない苦しさがあって必死で息を吸っても足らない感じで、回復したのかどうかよく分からないまま3人でお城へ入りました。
お城は1、2階が展示で3階が天守閣でした。
私は2階までは行けたけど、とにかく苦しいと言うかしんどかったので、ベンチで休みました。
両手は手首から先が痺れて全く感覚がなく、きつめの頭痛と呼吸の苦しさで肘を膝に置いて項垂れてました。
妻と娘には「ぼくはここで待ってるから3階行ってきー」と言って待つことにしました。
私の狭心症は症状が出ないので、おそらく苦しまずにいきなり倒れるでしょうと医者から言われてたので狭心症ではないと思ったけど。
でもその後気を失って倒れたようです。

私は天井近くにプカプカ浮いていて、下を見るとさっきの展示物のショーケースがあり、天井付近は涼しい風が吹いていてずっとここにいたいと思うほどとても気持ち良かったのですが、誰かが私の左腕を掴んで下へ引っ張りました。
すると次は右腕を掴んでまた下へ引っ張られて、遠くの方で「大丈夫ですか?」と声が聞こえて、気がつくと私はベンチの前に倒れてました。
左腕は知らないおばさんが、そして右腕は妻が掴んでました。
「大丈夫ですか?」と何度も訊かれて、やっと私は気を失ってたんだと分かりました。
私の前には人だかりが出来てて、目眩のせいか、その画面が眩しく揺れてました。
お城の事務の人や警備の人たちがやってきて、「救急車呼びましょうか?」と言われたけど、みんなが見てる前で私はその時の自分を情けない、恥ずかしいと思っていて、大丈夫ですと応えました。
そして事務室までフラフラ歩いて行きました。
ソファに座らせてもらって、冷蔵庫からキンキンに凍らせたペットボトルを2本渡してくれて、それを首に当てたり脇に挟んだりしました。
少し会話をしながら20分くらい休ませてもらって、もう歩けそうだったので帰ることにしました。
お礼を言ってペットボトルは頂いて帰りました。
車に戻って運転も出来そうだったので、帰ることに。
帰る途中にプラネタリウムを予約してたけどキャンセルです。
すると運転して30分くらいして額と首が痛くなって来ました。
ベンチに座ってた状態から左目の上から地面に倒れたようで、その時に擦り傷とコブが出来ていて、首も捻ったようです。
特に首は上下左右ともロックがかかったように動かせなくなって大変でした。
さらに左手が脚気で動かなくなり、自動運転なのでとりあえず両手でハンドル触ってました。
道中妻が塩分の入ったスポーツドリンクを買ってくれたのを飲んで、だいぶマシにはなりましたが、額はジンジンするし首は激痛。
家に着いて落ち着いてからお城の事務室へ電話してお礼を言いました。
京都まで運転して帰ったのをビックリされてました。

あの時私はどうして情けないと感じたのか、どうして恥ずかしいと感じたのか。
きっと周りの人たちは私たち3人をおじいちゃんと娘さんとお孫さんの3人だと思われてる、しかも気を失って妻にも迷惑かけてるし。
お孫さんかわいそうに、娘さん大変やな、おじいちゃんの面倒見るの、とそんな目で見られてると思ってました。
自分でも58歳、歳とったんやなぁって、だからかな。
これからもし寝たきりなっても介助されて生きて行くのかと思うと、もうホンマに情けない。
いろいろ考えなアカンわ。
額の傷は10日程で治ったけど、今も首は一定範囲しか動かせず、それ以上動かそうとすると寝違えた時みたいに電気が走る痛さです。
夏にはテレビのニュースで毎日のように熱中症を取り扱ってるけど、もしあのまま幽体離脱で浮いてて誰にも手を引っ張られへんかったら体に戻れてたのかと、チョット怖くもなったお盆休みでした。


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