【いのちの歌】は2008年『NHK連続テレビ小説「だんだん」』の劇中歌として、ヒロイン役の茉奈佳奈の2人が歌った曲で茉奈佳奈の4枚目のシングル。
作詞は竹内まりやで2009年2月18日に発売されました。
私がこの曲と出会ったのは離婚後で、自殺未遂をしてICUで目が覚めた数ヶ月後のことです。
当時私は診察以外では全く外に出ず、家でテレビも観ないで完全な引きこもりでした。
毎日何をして過ごしてたのかをはっきりとは思い出せないのですが、ノートパソコンで配信されてたアニメを観ていたことくらいしか憶えてません。
ある日母が知らない歌を歌ってました。
母はコーラスの教室に通っていて、今度の発表会で歌う曲だと言ってスコアを見せてくれました。
そこには【いのちの歌】と書かれてました。
母は【いのちの歌】のCDを買って来て、再生しながら歌って練習をしてました。
ただ、母は低音パートらしくスコアを見ながら歌ってるのですが、楽器がないのでそれが正解かどうか不安でした。
私は音楽制作のお仕事をしていたこともあったので【いのちの歌】のスコアを見せてもらってMIDIで入力してピアノの伴奏を作り、それをCDにして母に渡しました。
ちゃんと低音パートも入力してたので、母はとても喜んでました。
それから発表会まで毎日、ご飯の用意をしながら、洗濯物をたたみながら私があげたピアノの伴奏のCDを相手にずっと練習してました。
発表会が近づいて来たある日、母が私に今度の発表会をぜひ観に来て欲しいと言って来ました。
引きこもりの私は行くつもりはなかったのですが、毎日来てと言われて観に行くことになりました。
母は私に【いのちの歌】の歌詞を聴かせたかったようです。
発表会当日、私1人で行ったのか兄が一緒だったのかは憶えてないのですが、コンサートホールへ行きました。
何組も出るイベントで母たちの番が来て、母とあと20人くらいだったと思いますが、みんな真っ白なドレスを着て【いのちの歌】を歌いました。
コンサートホールはかなり響く仕様で、素晴らしい歌声でした。
ハモリもしっかり出来ていました。
ピアノの伴奏だけで歌ってましたが、その伴奏は私がMIDIで作った伴奏と同じだったので、母はいっぱい練習したので歌いやすかったのかもしれません。
母たちが歌う【いのちの歌】を聴きながら、私は客席で泣きました。
歌を聴いてあそこまで泣いたのは、あの時だけです。
家でずっと母が歌ってたので歌詞はほぼ覚えてたけど、みんなの歌声の素晴らしさでより心に響いたのだと思います。
“泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影“
私が毎日後悔で泣いてばかりで、これからずっと辛い未来しかないと絶望してた時、母はそばにいて不安でいっぱいやったけど支えてくれてたのでしょう。
私は全く気づいてなかった。
”生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう“
私の命は終わらなかった、生きてる。
せっかく繋がった命を大事にしないといけないのだと思いました。
それに先日娘たち見つけて楽しく生きていてくれたことが分かってとても嬉しかった。
あの時私の命が終わってたら、今回の再会はなかったと思うと素直に生きてて良かったと思う。
”生きてゆくことの意味“
今でもはっきりとした答えはないし、過去に戻ってやり直したいことは山ほどある。
命が尽きるまでの道筋は安定ではないと思ってるけど、そう多くはない人生を少しでも充実させたいと考えてます。
”この命にありがとう“
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